2016年 アントレ掲載の記事
イスタンブール、ではありません。
週3回、ケルン・ミュールハイム地区のウィーン広場に出る市場。昨年、頼まれて書いた記事にちらっと触れましたっけ。
昨年書いた記事です。
ドイツからのイスタンブール徒然草
南ドイツ・フライブルクからケルンに移って10年、今住んでいるのは旧市街とはライン河を挟んだミュールハイムという地区です。昔は労働者層が住んでいた辺りに今はトルコ人などの外国人が多く暮らしている一角。そのど真ん中にあるアパートの6階です。一歩外に出るとドイツ語とトルコ語が同時に耳に飛び込んでくる毎日。週末になるとトルコ人達は家族一同で外に繰り出し、賑やかな夕食となります。そんなレストランが並んでいるのがコイプ通り。地元ドイツ人もびっくりするほど、イスタンブールそのまま。この季節6階からその方向を眺めると、肉を焼く薪の煙が暗闇に白く漂う風景。このコイプ通りでは2004年6月に爆弾事件が起こり、2011年にようやく右翼テログループの犯行だったことが判明。容疑者扱いを受けたトルコ系移民への謝罪がなされましたが、司法・行政の対応の問題点が浮き彫りになりました。
目の前の市場では週に3日市場が出ます。地元農家の直売と並んで、スーパーの売れ残りの叩き売りもあり、大家族を抱えるトルコ人お母ちゃん達が大ハッスル。最近は東欧、アフリカ系の親子の姿が増えました。メルケル首相が難民を歓迎する姿勢を示して以来100万人以上を受け入れてきたドイツは、難民局を設置。難民達はドイツ中に振り分けられ、外国人に馴染みのなかった地域も対応に追われています。一方で国内の貧富の差が広がる中、対外国人の風も強く、焼き討ちなどの事件が頻発。そんなパラドックスを抱えながら、草の根の支援は広がっています。
外国人として生活し始めて来年で四半世紀。芸術に国境はないとはいえ、専門はヨーロッパ音楽。一般のドイツ人が知らないような作曲家の音楽を生きた形で提供する仕事です。オペラや合唱曲の仕事の度に実感するのが、「始めに言葉ありき」。同じ音型でも歌詞の言語で音楽がガラッと変わります。ヘンデル・イェフタのリハーサルで「このアウフタクトは英語ではあなた方の強いアクセントではなく、次の子音に流れ込むためのジェスチャーとしての強調だ」と言われたことがあります。思いっきりジャーマンだったオーケストラが突然イギリスの鳴りになったのは面白い例でした。
本人達が当たり前すぎて自覚していないその文化の特色は、彼らのアイデンティティーなんですよね。お客としている私たち外国人にはそれがよく見えるのですが、外国人としての強みはそこにあるのかもしれません。
山田耕筰が言ったように、私たちは「欧米の楽的表現の手法を、ただ私の感情、思想発表のIdiomとして用いているに過ぎません。」その芯はやはり「人間」です。
ドイツの週間新聞ツァイト紙のコラムから:若い頃外国で働いでいて「ドイツの豚野郎」とよく言われた。ドイツは世界で最も戦争責任に関しての努力してきた国で、私も自国の汚点を償うべく働いてきた。だからというのではないが、自国の恥を自覚して行動するのは外国人として当然求められるべき姿なのではないだろうか。そしてどの国にも恥となる歴史は存在する。:新鮮な問いかけでした。
同僚の誕生日やクリスマス前の待降節にケーキ、クッキーの差し入れをするのがここ数年の習慣になりました。15年以上の付き合いのあるコンチェルトケルンでは、にらみ合うほどの議論もしばしば。そんな連中も、お菓子を前に和気相合。国際色豊かな職場ですが、ここでの世界平和は胃袋かららしいです。