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ケルンからこんにちは

阿部千春です。ドイツから徒然草をお届けしています。

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今年の日本公演プログラム

  • Autorenbild: Chiharu Abe
    Chiharu Abe
  • vor 5 Stunden
  • 5 Min. Lesezeit
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昨日羽田に到着、ただいま実家のある岩手県、八幡平市に来ております。秋真っ只中、今朝はお日様が出ていました。













今年は11月16日(日) 15時より、奈良の古民家、水輪書屋で、そして11月17日(月)は京都のカフェ・モンタージュで、チェンバロの三橋桜子さんと初めてご一緒させて頂きます。とても楽しみ!


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京都でも同じような内容になります。https://www.cafe-montage.com/theatre/251117.html


バロックヴァイオリンと
バロックヴァイオリンと



今回は1700年ごろのイタリア・ローマを取り上げ、大巨匠コレッリを中心としたプログラムを組んでみました。

2年前に我が家にやってきたヴィオリーノ・ピッコロの、お初の登場ともなります。





こちらが解説となります。


1700年頃のローマ


 今年2025年は、キリスト教カトリック巡礼者にとって重要なローマの聖年です。西暦1300年以来、教会とその信者たちは、人間の一生に数回しか経験できないこの稀な記念日(14世紀当時では100年、現在は25年ごと)を祝ってきました。ヨベルの年とも言われるこの祝年の紀元は、ユダヤ暦において7年ごとに訪れる安息年が7回訪れた、その次50年目に当たる記念年です。雄羊の角(ヨベル)笛でその到来が知らされました。この年は自由と解放を祝う年であり、畑は耕され、奴隷は解放され、借金は帳消しになります。


 カトリック教会の聖年1700年において、当時のローマ法王インノケンティウス12世、そして後継者クレメンス11世は公共の場でのあらゆる娯楽を禁止、バロック時代に生まれ発展したオペラは、この時期ローマでは消滅します。音楽活動は教会もしくは宗教的行事として行われることが主となりました。

 この年にアルカンジェロ・コレッリ (1653-1713) のヴァイオリン・ソナタ作品5が発表されました。最初の6曲は教会ソナタ、曲集の後半は室内楽ソナタのスタイル(12曲目はラ・フォリア )で書かれています。一般に教会ソナタにおいては緩−急−緩−急の4楽章をとることが多く、室内ソナタではフランス風器楽組曲を導入した舞曲も交えての構成となっています。ローマで同僚であったアレッサンドロ・ストラデッラ (1643-1682) は教会スタイルのシンフォニアを作り、同僚のカルロ・アンブロジオ・ロナーティ (ca.1645-1710/1715) はこれらの器楽曲スタイルに南ドイツ/オーストリアのヴァイオリン技巧を取り入れますこのふたつの器楽形式はヨーロッパ中に広まり、コレッリの弟子達はここからヴァイオリンのイデオムに即した語法を模索していきます。


 スェーデン女王クリスティーナが主催するアッカデミアで活躍したベルナルド・パスクィーニ (1637-1710)は、コレッリとともにローマの音楽社会を担う重要な人物でした。1670年代から1690年代にかけて、ストラデッラやアレッサンドロ・スカルラッティとともに、ローマにおけるオペラ、オラトリオ、カンタータといった分野で第一人者として活躍します。またフレスコバルディの後継として、鍵盤音楽史上、重要な位置を占める音楽家です。



ロンドンの音楽活動


 18世紀、ヨーロッパで随一のメトロポリタンであったロンドンでは、2回の革命を経て産業が発達し、市民階層が力を持つようになりました。野心的な音楽家達にとって、魅力的で自由なマーケットが出現したのです。1712年にドイツ・ハノーファーからロンドンに飛び出しオペラ興行を始めたのが、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685-1759)です。彼のオペラのオーケストラでは幾人かのコレッリの弟子達が活躍していました。この時代、コレッリの作品集はロンドンでも大人気で、様々な編曲もなされています。 イギリス・マンチェスターのヘンリー・ワトソン音楽図書館に残されている、91曲の様々な作品が収録されているコレクションには、ヨーロッパ中に広まっていたコレッリの作品5からのガヴォットを、主題として用いたヴァリエーションが含まれています。

また、ヘンデルのソナタト長調ヘンデル作品番号358は、自筆譜がイギリス・ケンブリッジのフィッツウィリアム博物館に残されている初期の作品で、出典には楽器指定、テンポ、また曲名も書かれていません。1706年から1710年、ヘンデルのイタリア滞在時期に書かれたとされています。この曲はヴァイオリンには音域が高く、演奏される機会が少ないのですが、今回はコレッリのテーマによる変奏曲とともに、ヴィオリーノ・ピッコロの演奏にてご紹介します。


フランチェスコ・ジェミニアーニ (1687-1762) も、イタリアからロンドンへと拠点を移しフリーで活躍した音楽家です。ヴァイオリンをロナーティやコレッリに師事、ロンドンに渡り1715年にはヘンデルの伴奏でジョージ1世に御前演奏を披露しています。演奏家として、また教師として数多くの作品集、教則本を出版していますが、そのうちの合奏協奏曲集作品5は師匠コレッリのヴァイオリンソナタ集作品5を編曲したものです。

人気のあったコレッリの古典的な作風を踏襲する一方で、最新のギャラント様式、スコットランドやアイルランドの民族音楽をも取り入れ、幅の広い活動をしました。1739年のヴァイオリンソナタ集作品4はギャラントな内容で、サロンでの需要に合わせたものとなっています。



ヴィオリーノ・ピッコロについて


 ルネサンス後期・バロック初期にかけて、同族楽器によるコンソートが好まれていました。リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバのコンソートは現在でも演奏される機会が多いのですが、ヴァイオリンコンソートも存在していました。また、曲の音域により楽器を使い分ける演奏習慣が長く残っており、ヴィオリーノ・ピッコロはそのコンソートの中での最高音域を受け持つ楽器でした。コンソートの習慣が廃れたのちも、この楽器の記述は18世紀半ばまで続きます。例えばレオポルド・モーツァルト (1719-1787) は自身のヴァイオリン教則本(1756) で、「この4分の1、もしくは2分の1サイズの楽器は子供用に用いられるのみになったが、以前はコンチェルトがつくられ、セレナーデ(夜想曲)にも用いられた」と述べています。クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)のオペラ、「オルフェオ」(1607)では、violini piccoli franceseとして、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750) のブランデンブルク協奏曲1番ではソロ楽器として、バロック時代全般に渡り使用されました。

楽器のサイズは様々で、小さいものは2分の1の分数楽器くらい、大きいものは4分の3くらいです。調弦は普通のヴァイオリンよりも3度高い b–f’-c’’–g’’であることが多いです。今日使用するヴィオリーノ・ピッコロは、1613年Girolamo Amati作のオリジナル楽器のコピーです。(阿部千春)



 
 
 

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