バロックヴァイオリンとヴィオラ・ダモーレの響き- 菊地嘉子様 追悼演奏会
- 9. Juni
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6月もすでに3分の1が過ぎ、関東では梅雨入りだとか。ドイツもここ数年、梅雨のような6月が多くなりました。
今回の帰国は、ちょうど梅雨の時期になりました。12月にお亡くなりになった、恩師菊地俊一先生の奥様、嘉子様への、私なりの追悼の形として、無伴奏ヴァイオリンのプログラムを演奏したいと思います。嘉子様が晩年愛されたヴィオラ・ダモーレの曲もプログラムに入れてみました。
音楽の話もさることながら、奥様とはどうも味覚の趣味も合ったようで、江古田の和菓子屋さんの栗羊羹をわざわざホテルまで届けてくださったり、何かと気を遣ってくださっていました。
いつも企画を積極的に進めてくださる辻有里香さん、そして彼女のお教室の皆様にはまたお世話になっております。この場を借りて、心よりお礼申し上げます。

京都での公演は、6月23日(火) 19:30、カフェモンタージュさんにて予定しております。昨年11月には、チェンバロの三橋桜子さんとの大変楽しいセッションをさせていただきました。
こちらがご案内です。
今回のプログラムは、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲とヴィオラ・ダモーレの曲を取り上げています。この時代のドイツ語圏の時代的・精神的背景を出発点に、今まで取り上げてきたレパートリーを土台から見直し、作品に込められた当時の人々の願いを音にしてお届けできれば、と思っております。ドイツに来て30数年、初めて気がついた部分も多く、作品の解釈がガラッと変わったものもあります。
当時の人々の声を皆様と共有できたら幸いです。
東京公演用のプログラム解説はこちらです。
解説
今回のプログラムは、昨年12月に亡くなられた菊地嘉子様を偲び、今まで聴いていただいた作品を中心に構成しました。また嘉子様がここ数年特に惚れ込んでおられた楽器、ヴィオラ・ダモーレの作品も取り上げます。作品の背景にあるバロック時代の修辞学、政治・社会学的な見地、当時の世界観を通し、音楽をKlangrede (音による弁論)として捉えてみようと思います。現代の私たちには見えにくい当時の社会状況と、その中での人間のあり方を見ていくと、音楽に込められた想いや願いを汲み取ることができるのではないでしょうか。
バロック芸術は、感情を動かす媒体としてその表現技術を発展させていきます。劇的でコントラストの強い表現により、光と闇、生と死、栄光と崩壊、といったテーマが頻繁に取り上げられるようになります。特に30年戦争後の疲弊したドイツ語圏では、深い内面的体験としての「死」Tod と「無常」は芸術と深く結びつくようになり、音楽にもその傾向が強く現れます。本日取り上げるハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(1644-1704)やヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750)の音楽には、ドイツ・バロック特有の死生観・スピリチュアルと結びついた劇的な高まりと、それとは相対する静けさや沈潜が、深く刻まれています。
バロックにおける器楽曲: ヴァイオリンと無伴奏曲
1600年頃に音楽の先端をいくイタリアで興ったモノディ(旋律と通奏低音という形式)運動はヨーロッパ全域に広まり、器楽独奏のための形式が発展します。ヴァイオリンという楽器は、旋律楽器としての機能性の高さから器楽音楽発展の主役となり、イタリアと並行してドイツ語圏でも一つの流派を築きました。ウィーンのヨハン・ハインリヒ・
シュメルツァー(Johann Heinrich Schmelzer、1623-1680)、その弟子でザルツブルクで活躍したハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber)、ドレスデン、マインツで活躍したヨハン・ヤコブ・ヴァルター(Johann Jakob Walther、 1650-1717)などの名手が17世紀ドイツの代表的なヴァイオリニストです。また1699年にヴァイマール宮廷のコンサートマスターに就任したヨハン・パウル・フォン・ヴェストホーフ(Johann Paul von Westhoff、1656-1705)は無伴奏ヴァイオリンのための6曲の組曲を残しています。17世紀の無伴奏ヴァイオリン曲として興味深い例で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはおそらくこの作品集を研究しており、その影響は彼の無伴奏ヴァイオリン曲に色濃く現れています。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの6曲の無伴奏ヴァイオリン曲(BWV1001-BWV1006)は1720年ごろに編集されたとされており、無伴奏チェロ組曲6曲と合わせての12曲のチクルスだったという説があります。特に無伴奏ヴァイオリンソナタ3曲は、キリスト教会暦における3大行事をテーマにしているというのがドイツ人音楽学者ヘルガ・テーネ氏の提唱した説で、1番はキリストの生誕、2番はキリストの受難、3番は聖霊降臨祭に当たるとされます。
ソナタ1番BWV1001は教会旋法ドリア調が基調で、教会音楽で伝統的に使われてきた古い形式、stile antico に則っています。1楽章Adagio、2楽章Fuga Allegro、4楽章Prestoには、ビーバーのパッサカリアに使用されているオスティナートバスの下降テトラコード、G-F-Es-Dがバス声部に現れます。このテトラコードは、修辞学的には悲嘆を意味し、半音階下降音型のラメントバス(G-Fis-F-E-Es-D)との関連が強く感じられます。1楽章は、ラメント(哀歌)的要素に、17世紀の修辞の一つのスタイル、Stylus phantasticus(即興や予期しない音型、突然の中断などを用いた自由なスタイル)、ドイツ・17世紀の宗教的・内面的舞曲としてのアルマンド語法を組み合わせた、プレリュード的な形式をとっています。2楽章は、重厚な和声、持続低音(Orgelpunkt オルゲルプンクト)を用いたフーガ、4楽章は舞曲風の無窮動的な楽曲となっています。
祝祭としての舞曲は、バロック神学においては常に回転、運動している「死」の性格と結びつく可能性があります。中世からのTotentanz 「死の踊り」の概念は、「誕生のうちにすでに受難を見る」というバロック神学に根強く残っていました。キリストの生誕にすでに受難を取り入れる手法は、ビーバーの「ロザリオのソナタ集」にも例を見ることができます。3楽章のシチリアーナはキリスト生誕と結びついた舞曲形式であり、半音階的下降音型など内面的な要素が含まれたドイツバロック的な内容となっています。
パルティータ2番BWV1004においては、ソナタ2番(受難のソナタ)との関連が指摘されています。フランス風組曲の形式をとっており、ヘルガ・テーネ氏の説では、コラールChrist lag in Todes Banden 「キリストは死の縄目につながれたり」との音楽語法上の結びつきが見られるとされます。に舞曲形式を持つ5つの楽章にそれは一貫しており、特に最後の長大なシャコンヌにおける定型バス(オスティナート)には、バロック修辞学のラメント、そしてTotentanzの概念が感じられます。1720年5月から7月にかけて、ヨハン・ゼバスティアン・バッハは当時の勤務先ケーテンのレオポルド侯に随行し、保養地カールスバードに滞在していました。その間に最初の妻、マリア・バルバラを亡くしています。帰宅した時は埋葬が終わっていました。このシャコンヌは、バッハが妻への哀悼歌として、個人的な想いを込めて作曲したものと見ることも可能でしょう。
ヴィオラ・ダモーレは17世紀半ばから18世紀にかけて、特にドイツ語圏で好まれた楽器でした。燻し銀のような響きと形容されるヴィオラ・ダモーレは、ヴィオラ・ダ・ガンバ族の楽器ですがフレットがなく、演奏方法はヴァイオリンのように肩にのせるダ・ブラチョ式です。17世紀のドイツ音楽に見られる瞑想的・内省的な傾向は、ヴィオラ・ダモーレの音色とよく調和しており、宮廷、とりわけ修道院や教会において、数多くの作品が今に伝わっています。世俗的楽曲である舞曲を集めた組曲は、この時代キリスト教音楽にも取り入れられるようになっていき、舞曲としての性格もそこで宗教的性格を帯びることも多くなります。調弦方法はバロック時代においては様々で、楽曲の調性によって一番響きやすい調弦を使用していました。18世紀半ばから次第にニ長調調弦に移行し、調弦法が一つに統一されていきます。クリスティアン・ペツォルト Christian Petzold (1677-1733) の ヴィオラ・ダモーレのための組曲 ヘ長調の原典は、ドイツのザクセン州立連邦図書館にあります。フランス風組曲の形式は、17世紀後半からドイツ各地で好まれて使われており、この時代のヴィオラ・ダモーレの作品にもよく使われているスタイルです。音域の広いヴィオラ・ダモーレにおいては、低弦をバス声部としての作曲法が容易で、この作品においてもその特性が生かされています。クリスティアン・ペツォルトは当時ドイツにおける重要な音楽家であり、ヨハン・ゼバスティアン・バッハも彼の曲を書き写しています。
16曲からなるロザリオのソナタ集は、ドイツヴァイオリン流派の代表とも言えるハインリヒ・イグナツ・フランツ・フォン・ビーバーが1678年に私的な信心のために作曲したものです。ロザリオの祈りは、カトリック教会において、天使祝詞「アヴェ・マリア」を繰り返し唱えながら福音書に記されているキリストの生涯などの秘跡を辿り、黙想するものです。ビーバーがソナタ集に用いた15の秘跡の絵は、ザルツブルクのロザリオ信心会入会の心得に印刷されたものです。終曲の無伴奏ヴァイオリンのために書かれたパッサカリアには守護天使の絵が冒頭にありますが、この絵の出典はわかっていません。
このパッサカリアは、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ1番と同じ下降テトラコードをオスティナートに用いた変奏曲で、無伴奏ヴァイオリンによる室内楽とも言えます。繰り返され止まらないバス音型は、17世紀のバロック的修辞学からみると、逃れようのない運命の象徴として響いたのかもしれません。
バロック芸術には「死」と「無常」の感覚が広く共有されていましたが、とりわけ三十年戦争後のドイツ語圏では、それが深い霊的内省として表出されました。壮麗な建築や高度な対位法、華やかな技巧といった芸術には、「塵(Staub)」にすぎない人間の、永遠を求める思いが込められています。無伴奏ヴァイオリン作品はその感覚を体現するのに適した形でした。カトリック的世界観を背景に持つビーバーの音楽には、苦悩から恍惚へ向かう感覚が響き、一方ルター派のバッハの無伴奏作品には、神の恩寵への静かな信頼と祈りが込められています。キリスト教社会の西洋では当時神の存在は絶対的でしたが、次第に人間の存在・ドラマにスポットが当たるようになり、その伝達言語としての音楽にも当時の人間社会や思想が投影されました。その時代的精神と共に、音楽は次の時代、未来へと繋がっていきます。






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