現代曲と古楽器
ケルンで2011年から毎年企画されている現代曲の音楽祭、Acht Brücken ( 8つの橋)の最後のコンサートに参加しました。
古楽器なのになぜ、と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、古楽器特有の音色や表現の可能性を素材として用いる手法が作曲家に結構人気で、先日のプログラム3曲中2曲はモダン楽器のアンサンブルとバロックアンサンブルを同時に用いたものでした。モダン楽器は442Hz、古楽器は417Hzでの演奏です。
一曲目はスペイン・カタロニアの若手作曲家Hèctor Parra ( 1976 - )のOrgiaという曲で、フェスティバルの委嘱作品。イタリアの劇作家Pier Paolo Pasolini ピエル・パオロ・パゾリーニ ( 1922 - 1975 ) の演劇作品Porcile ( Orgia ) 豚小屋 ( 1969 ) とバッハのヨハネ受難曲をもとにした作品です。かなり複雑な譜面でリタイアしたメンバーが数人、オケの中ではすったもんだの騒ぎだったのですが、無事初演が終わり作曲家は満足の出来だったよう。パゾリーニのこの演劇作品自体、いろいろな観念、要素が混じり合い複雑です。この演劇作品が書かれた直前の1968年には学生運動が世界中に広まり西側ヨーロッパでは共産主義運動が盛んで、一方では経済成長という名のもとに大企業が全てを飲み込んでいく社会情勢の中、パゾリーニはどこにも属することができない”はみ出し者”の存在を描きます ( 彼自身、同性愛者として一般社会で”普通に”生活することが困難だった経緯があります。現在のヨーロッパは当時と比べると随分変わりましたが、それでも”普通でない”人間をのけ者にしようとする動きはまだまだ強いです。 )。キリストの受難と対比させそのシンボルとして古楽器を使うことで、”希望の再発見”を見出すことができたらというメッセージを込めたと解説にありました。
古楽器のパートはヨハネ受難曲のパロディが多く含まれているのですが、現代社会の紛争をイメージさせるドラマチックな手法で古楽器奏者の耳にはとにかく大音響、自分が出している音がモダン楽器とのフォルテになると聞こえない状態。ラジオで5月24日に本番の録音が放送されますが、どのように響いていたのか興味があります。ちなみにこの放送の後30日間はネット上で録音を聞くことができるそうです。
二曲目のMartin Matalon マルティン・マタロンの新作のクラリネット協奏曲の後、休憩を挟み後半はMartin Smolkaマルティン・スモルカ ( 1959- )のSempliceセンプリーチェ。6楽章からなるこの曲は50分近くの大きな曲で、2006年にドナウエッシンゲンの音楽祭のために書かれました。Sempliceはイタリア語で簡単・単純という意味で、幾つかの単純な音素材を用いて単純な感情を表現、そこから単純明快な真実を呼び起こすのが狙い。中世多声音楽で使われたホケトゥスの手法、ハ長調の主和音、音型の反復、また自然倍音フラジオレットの多用、自然倍音で演奏するナチュラルホルンの使用と、複雑な素材を使わない構成。そういう観点から見ると一曲目のOrgiaとは対照的な作品です。小鳥のさえずりが入ったり、水の流れる音が聞こえたり、客席で聴いていた同僚が時間の流れが変わって別世界にいるようで面白かったと言っていました。実際のところ、古楽器の立場から見ると古楽器の特徴をよくわかった上での作曲法で、音がしっくり馴染んでいたと思います。空間に広がっていく響きの中に身を置いて生で共に体験してもらいたい曲です。
指揮はStefan Asbury ステファン・アズベリー、日本では6月にN響と現代音楽をやるようです。結構おっちょこちょいなところがあるようで、指揮者が来ない…と皆で待っていたら、”電車に乗り間違えて降りたら知らない場所だった…Sorry !! ”なんてことがありました。モダン楽器のアンサンブルはMusikfabrik、ケルンの現代音楽アンサンブルで面白い活動をしています。
5月も半ばにさしかかり、リハーサル会場・Musikfabrikのスタジオの近くの池にはカルガモの親子。人間の方も、婚約中の彼女の窓下に飾り付けた白樺の若木を立てるMaibaumが5月1日から街のあちらこちらに出現します。一ヶ月後に回収に来て、その時に彼女のお父さんからはビール1ケース ( 木を運んでくる時に手伝ってくれた友達たちと一緒に飲めという心遣いなんだそう )、お母さんからはケーキをもらい、地方によっては彼女本人からはキスをひとつ、というのが伝統なんだとか。最近は木を運ぶのにタクシーサービスまであるようです。便利になったものですね :-)